[散策記] 初秋の北鎌倉と葛原岡。
2019/05/19
秋。10月。紅葉にはまだ早いけど連休の多いこの時期。ネイバーまとめをたよりにふらっと散策をしました。
今回の旅の目的は、地味だけど花の空白時期をなんとか繋いでくれる秋の紫苑(シオン)、暑すぎず寒すぎずのこの時期にちょうど良い人気のハイキングコースを絡めての散策です。
この散策の概要
- 散策したコース:北鎌倉下車、東慶寺、浄智寺、葛原岡・大仏ハイキングコース経由で葛原岡神社、化粧坂切り通しから海蔵寺へ
- 散策した日:2013年10月13日、所要時間:約4時間
- リピーター向け。
北鎌倉下車、東慶寺へ
北鎌倉下車10時過ぎ。予定よりちょっと遅れて到着すると北鎌倉駅は大混雑。しかも東京よりの車両に乗ってしまったため駅を出るのに5分かかる始末。(北鎌倉駅の出口は鎌倉寄りです。)
ただしみんな特別改札口の円覚寺方面に吸い込まれてしまう。僕の今日の最初の目的地は東慶寺であるため、北鎌倉の改札を過ぎると先ほどの人ごみはいつのまにか消えていました。
さ て東慶寺へ。東慶寺は花の寺で有名です。このお寺であればあじさいや萩の時期でなくても何かが咲いていてくれます。
花の寺に入り少し歩くとシンボルの仏像が 出迎えてくれまして、その奥の庭には秋の紫苑が美しく咲いていました。
紫苑(シオン)は一見地味ですが、天にむかって群生し儚くもとても力強い咲きぶりです。
周辺の円覚寺や建長寺など著名な禅寺と比べるとこじんまりしたお寺ですが、東慶寺は北鎌倉駅からも近く境内にはギャラリーやお土産屋さんも併設されたモダンなお寺です。また体験教室として座禅や写経、香道まで体験できます。
お寺の奥に足を伸ばすとお墓が立ち並ぶ谷戸にはいります。北鎌倉らしく駅近も関わらず自然豊かな八戸です。
この墓地には後醍醐天皇皇女のお墓がひっそりたたずんでいました。
この皇女の詳細はわからなかったのですが、花の寺といえどやはりここは鎌倉。太平記の匂いを感じさてくれる風景です。
東慶寺の去り際、山門の脇を見上げるとそこにはススキが秋を感じさせてくれます。
浄智寺からハイキングコースへ
さて東慶寺を去り隣の谷戸となる浄智寺へ。鎌倉では珍しい鐘楼門が出迎えてくれます。
浄智寺は鎌倉五山のひとつ。かつては大きく栄えた寺と聞きます。いまでは本堂と方丈や一部の建物を残すだけですが、境内は奥に広く、唱門、三体の仏、布袋様とバラエティにとんだお寺です。
この母子像は僕の中でとてもお気に入りです。小さいながらとても優しく毎回手を合わせてしまう不思議な雰囲気を持った像です。
裏手には布袋様が。シリアスな仏像な多い中、とてもユーモラス。おなかを触ってみましょう。
さて、裏手の山道に向かいます。源氏山へのハイキングコースの起点となるこの浄智寺を5分ほど歩くと山道へ差し掛かります。
ここからはなかなかアップダウンの多いコースです。秋の三連休のためかたくさんにファミリーやカップルのハイカーとすれ違いながら、約20分ほどヒイコラしながら登り切ると、視界が開け山間のお昼で賑わう広場に差し掛かります。葛原岡です。
葛原岡という土地
葛原岡。北鎌倉〜大仏という人気スポットを繋ぐハイキングコースの中間地点として、また銭洗弁天にも近いこともあり、休日にはとても賑わう葛原岡。昼時ということもあ り玉こんにゃくも飛ぶように売れています。なぜか女子も多いなと思っているとどうやら縁結びとしても有名なスポットと世の中の観光本には定義されているということ。
縁結びのスポットとして有名なのか、縁結び絵馬がところ狭しと掛けられる。
現代では恋の聖地ようですが、南北朝時代好きの僕の中ではやはりここは刑場です。
日野俊基卿(ひのとしもときょう)。天皇家の異端児、後醍醐天皇の忠信。後醍醐天皇と彼を支持する一派は鎌倉末期の北条幕府にとって最大の敵対勢力であり、その代表格である日野はここで処刑されました。
日本史上最も複雑なこの太平記に時代、歴史に翻弄され鎌倉で命を落とした後醍醐の子大塔の宮、そして後醍醐の忠信日野。幕末から明治初期の尊王という薩長史観の中で見直され忠信して再定義された彼らにゆかりのある社寺仏閣は、どこか歴史の牧歌的な郷愁の中にある鎌倉の他の社寺仏閣とは一線を画し、この葛原岡は異色の土地と感じるのです。
恋の聖地、ハイキングの憩いの広場、太平記の刑場。狭い土地に様々な想いがひしめき合うそのギャップが鎌倉の魅力なのかもしれません。
日野俊基 辞世の句
”秋を待たで 葛原岡に消える身の露の うらみや世に残るらむ”
葛原岡にある日野俊基卿の碑。