源義経(みなもとのよしつね)と鎌倉
2020/11/23
源義経(みなもとのよしつね)。源平合戦の功労者、兄と対立したその半生
源平合戦のヒーロー。悲劇の貴公子
幼名を牛若丸。兄・源頼朝(みなもとのよりとも)が平氏打倒のため挙兵の際に馳せ参じ、源平合戦で平氏を滅ぼす。その後は兄・源頼朝と対立、奥州藤原氏を頼るが、最期は自刃。義経の波乱万丈な人生から、様々な物語が生まれています。
源義経(みなもとのよしつね)の家系
- 父:源義朝(みなもとのよしとも)
- 兄:源頼朝(みなもとのよりとも)
- 兄:源範頼(みなもとののりより)
- 兄:阿野全成(あのぜんじょう)
- 愛妾:静御前
源頼朝(みなもとのよりとも)と鎌倉の歴史
清和源氏の一流である河内源氏の源義朝(みなもとのよしとも)九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれていました。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受けました。
兄・源頼朝(みなもとのよりとも)が平氏打倒のため挙兵。この挙兵の際に馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の源平合戦で平氏を滅ぼし、最大の功労者となります。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことによって兄と対立し朝敵とされてしまいます。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ最期は自刃しました。
義経は多くの伝説、物語を生んだ鎌倉創生期のヒーローとして語り継がれています。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、菅田将暉さんが源義経を演じます。
源義経(みなもとのよしつね)と鎌倉の史跡
【鶴岡八幡宮】妾・静御前が舞った舞殿
鎌倉の中心地。源氏、そして鎌倉武士の守護神社。
義経の妻・静御前が、源頼朝に命じられた際、義経を慕う歌を読みながら舞を舞ったという有名な言い伝えがあります。
雪化粧する美しい鶴岡八幡宮の舞殿。
- 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
- アクセス:鎌倉駅東口より徒歩10分
【満福寺】義経の悲劇を写すお寺
兄・頼朝との対立。鎌倉に入れず足止めされた地
兄・頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことによって兄と対立してしまう義経。鎌倉入りを乞うために腰越状を記したお寺です。
義経の一生を描いた襖絵。
- 所在地:鎌倉市腰越2-4-81
- アクセス:江ノ島電鉄腰越駅より徒歩3分
【永福寺】復元する幻のお寺
源義経を初め奥州合戦の戦没者の慰霊の為、源頼朝が建立した永福寺。
永福寺(ようふくじ)は源頼朝が、源義経や藤原泰衡など奥州合戦の戦没者を弔うために建立した寺院です。荘厳な奥州平泉の二階大堂大長寿院を模して1192年(建久3年)に着工されました。
幻の大寺。復元が進められています
- 所在地:鎌倉市二階堂178 付近
- アクセス:鎌倉駅東口より徒歩約25分