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永福寺(ようふくじ)。復元する幻のお寺

      2022/05/29

源義経を初め奥州合戦の戦没者の慰霊の為、源頼朝が建立した永福寺。
1405年(応永12年)の火災ののち廃絶していた幻の大寺だが、復元が進められています。

永福寺

鎌倉時代の三大寺社の一つ

鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで鎌倉時代の三大寺社の一つという大寺でした。二階建てであった事から二階堂とも言われ、現在このあたりが二階堂と呼ばれているのも、永福寺の別称が由来となっています。この永福寺跡地として野原だったエリアですが復元が着々と進められ、2016年に池が復元され史跡公園として散策できるようになっています。

復元する幻のお寺。永福寺(ようふくじ)

永福寺

復元する幻のお寺。

礎石は着々と復元されていく永福寺跡。この大きな石は復元の礎石に使うものです。昭和58年の発掘調査で発見された礎石は、歴史書の吾妻鑑に記される三堂(二階堂・薬師堂・阿弥陀堂)の存在を明らかにする重要な証拠になりました。(2014年11月16日撮影)

永福寺とは(国指定史跡)

「吾妻鏡」によれば、奥州平泉の中尊寺二階大堂を模して建立されたと伝わる永福寺(ようふくじ)。奥州征伐の犠牲者を悼んで源頼朝(みなもとのよりとも)が購入した幻の大伽藍。源義経(みなもとのよしつね)や藤原泰衡など奥州合戦の戦没者を弔うために建立した寺院です。荘厳な奥州平泉の二階大堂大長寿院を模して1192年(建久3年)に着工されました。広大な敷地にはかつて二階堂、薬師寺、阿弥陀堂を中心とする壮大な伽藍や庭園がありました。
本堂は二階堂と呼ばれ、現在でも地名に残っています。鎌倉殿の13人のひとりである二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)は近辺に居を構えたことから、藤原行政を改め二階堂氏を称しました。

鎌倉殿の13人とは?

永福寺跡を示す石碑

永福寺跡の碑。

永福寺跡を示す石碑。現在は史跡が復元され、史跡公園として散策スポットになっています。

永福寺(ようふくじ)へのアクセス

住所:鎌倉市二階堂209
拝観料:なし

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