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北条義時(ほうじょうよしとき)と鎌倉

      2020/02/11

鎌倉幕府第2代執権、北条義時(ほうじょうよしとき)。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公です。
北条義時

鎌倉幕府の第2代執権。鎌倉殿の13人のひとり。鎌倉幕府初代將軍「源頼朝(みなもとのよりとも)」の死後、鎌倉幕府内で内部抗争を繰り広げるが、鎌倉幕府の最高指導者である執権(しっけん)に上り詰める。
鎌倉幕府と朝廷の対立が激化すると、後鳥羽上皇より北条義時追討を受け朝敵となる。承久の乱にて京都に攻め上り、朝廷を制圧し、その御天皇を廃し3人の上皇を配流し、鎌倉幕府の確固たる地位を築き上げた。

→【大河ドラマ】鎌倉殿の13人とは

北条義時(ほうじょうよしとき)の家系

  • 父:鎌倉幕府第1代執権 北条時政(ほうじょうときむね)
  • 姉:北条政子(ほうじょう まさこ)※源頼朝の正室
  • 子:鎌倉幕府第3代執権 北条泰時(ほうじょう やすとき)
  • 義弟:鎌倉幕府初代将軍 源頼朝(みなみもと よりとも)
  • 甥:鎌倉幕府第3代将軍 源頼家(みなみもと よりいえ)

北条義時(ほうじょうよしとき)と鎌倉の歴史

北条義時の青年期に源頼朝の挙兵がありました。父である北条時政の活躍や梶原景時の逸話は有名ですが、義時の目立った働きは史実としてありません。
また、源義経が活躍したいわゆる源平合戦に義時も参戦していますが、ここでも義時の目立った活躍の史実はありません。つまり、様々な御家人や吏僚が活躍した鎌倉幕府勃興時に、青年だった義時は印象の薄い武将人物であったと言えます。

ところが頼朝の死後、義時の中年期からその活躍は目覚ましいものになります。
第2代将軍「源頼家」の時代に有力御家人による合議制、いわゆる「鎌倉殿の13人」制度にその名を父である北条時政とともに名を連ねます。北条氏と比企氏の勢力争いである「比企の乱」での活躍、和田義盛との勢力争い「和田合戦」を経てこれまでの政所別当に加え、義盛が担っていた侍所別当に着任。これにより政治権力と軍事力を掌握することになり北条時代の基礎を固めていきます。

第3代将軍「源実朝」の暗殺事件後は三浦氏も抑え、より北条家の独裁を強めていきます。頼朝の未亡人である姉・政子の影響力を上手く利用し朝廷との戦い承久の乱を乗り切ります。
結果、義時はかつての「鎌倉殿の13人」の頂点にのぼりつめ、武家社会の基礎、そして北条執権体制を確立しました。

北条義時(ほうじょうよしとき)と鎌倉の史跡

【覚園寺】北条義時に助言を与えた戌神将

寺僧がガイド付きで境内を拝観してくれるユニークなお寺、覚園寺。毎年8月10日に執り行われる黒地蔵でも有名ですが、本堂薬師堂には、三尊像を取り巻くように戌神将を含めた十二神将仏像が安置されています。
1218年(建保6年)、源実朝(みなみもとさねとも)の右大臣拝賀式に参加した北条義時は、白い犬の姿を見て気分が優れなくなり、役を辞して退席。その代理を努めた中原仲章は、源実朝とともに、公暁に暗殺されてしまいます。
この白い犬は、現在覚園寺に安置されている戌神将 (伐折羅大将・ばさらたいしょう)が姿を変えたもので、義時に暗殺の危機を告げたのだと言われています。

覚園寺 北条義時

覚園寺では戌神将を含む十二神将仏像が拝観できます。

至極のツアー体験。覚園寺はこちら

  • 拝観時間:拝観案内は約50分、午前10時~午後3時
  • 拝観料:拝観案内は、大人:500円、小中学生:200円
  • 所在地:鎌倉市二階堂421
  • アクセス:JR「鎌倉駅東口」4番のりばから京急バス「大塔宮」行き「大塔宮」下車徒歩10分

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