大仏切通し。中世鎌倉の雰囲気を残す古道
2019/10/19
この切通しは、鎌倉と外界との主要な出入り口として、鎌倉七切通しの一つとして知られています。(国指定史跡)
かつての面影を色濃く残す切通し
鎌倉七口の一つに数えられる切通(史跡)。1241年(仁治2年)~1250年(建長2年)頃に開かれたとされています。
明治時代にトンネルが掘られ、街道が今のバス通りに移りましたが、切通はかつてのままに残されため、鎌倉時代の雰囲気を残す貴重な小径です。
鎌倉幕府の重要防御地点だった急坂の山道。鎌倉長谷と梶原・山崎を経て藤沢をつなぐ、かつての主要路です。
近隣に北条氏の重臣が住んでいた居館「常盤亭」があったといわれています。
生活道は新しくできた大仏坂トンネルに代わったため、道の真中に巨石が残り、両側が岩壁に囲まれているなど、未だに中世鎌倉の軍事要塞の雰囲気を残している趣きのある古道です。
大仏切通しへのアクセス
- 鎌倉駅江ノ電バス藤沢行き火の見下下車徒歩3分
- 高徳院(鎌倉の大仏)より徒歩5分
高徳院(鎌倉の大仏)からのアクセス方法
高徳院(鎌倉の大仏)から5分ほど、大仏ハイキングコースの大仏坂トンネル側の入り口からすぐ分岐あります。
階段を登った先に、大仏切通しへの分岐があります。
5分ほど山道を進むと、大仏切通しの目印が。藤倉と原方面を結んだ古道の面影を残しています。
高徳院(大仏)と火の見下の道標。このあたりが大仏切通しの中間地点。
火の見下からのアクセス方法
火の見下からのアクセスする場合は、火の見下バス停の脇を住宅方面に入ります。
この住宅を抜けると、山道に入ります。
切通しとは
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。
〜週末、お出かけ。鎌倉トリップ。〜