鎌倉の古道。歴史を感じる七つの切通し(鎌倉七口)
2019/05/25
歴史の街「鎌倉」を感じる鎌倉の古道「鎌倉七口」。
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。
東京から1時間ほどの鎌倉に、観光を兼ねて歴史を感じる古道散策に訪れてはいかがでしょうか。
その1 亀ヶ谷坂切通し
急な坂のため亀も引き返したという別名「亀返坂」。
扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ急坂です。現在も生活道、そして北鎌倉へ通じる裏道として使われています。(国指定史跡)
その2 仮粧坂切通し(けわいざか・化粧坂切通し)
名の由来は、平家の武将の首を化粧して首実検したからであるとか、この辺に遊女が住んでいたからと諸説ある。想像力を掻き立てられる名付けの坂です。(国指定史跡)
その3 巨福呂坂切通し(こふくろざかきりどおし)
鎌倉中心部と北鎌倉をつなぐ、かつての主要路です。
生活道は新しくできた巨福呂坂トンネルに代わり、かつての山越えの古道である切通しは使われていません。※行き止まりとなります。(国指定史跡)
その4 大仏切通し
鎌倉長谷と梶原・山崎を経て藤沢をつなぐ、かつての主要路です。
生活道は新しくできた大仏坂トンネルに代わったため、未だに中世鎌倉の雰囲気を残している趣きのある古道です。(国指定史跡)
その5 極楽寺切通し
坂ノ下から腰越、片瀬に続いて、更には京都へとつづくかつての主要路です。現在は舗装された道路となり当時の面影はありません。
仮粧坂切通しと同じく、新田義貞の鎌倉攻めの時、激戦地となったと言われています。
その6 朝夷奈切通し(あさいなきりどおし)
鎌倉中心部と六浦(横浜市金沢区)をつなぐ、かつての主要路(六浦道)です。
鎌倉の海は遠浅で、波の高い時に船をとめる事ができなかったので、鎌倉の東側にある六浦が鎌倉の海の玄関として栄えました。
かつての古道の趣きを残していて、ハイキングにもオススメです。(国指定史跡)
その7 名越切通し(なごえきりどおし)
鎌倉大町と逗子・三浦をつなぐ、かつての主要路です。
生活道は新しくできた小坪トンネルに代わったため、未だに中世鎌倉の雰囲気を残している趣きのある古道です。(国指定史跡)
番外 釈迦堂口切通し
鎌倉七口には数えられないですが、岩のアーチが美しくまるで別世界。中世鎌倉の雰囲気を最もよく残す趣きのある古道です。