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釈迦堂口切通し(美しき古道)

      2019/05/04

まるで別世界。中世鎌倉の雰囲気を最もよく残す趣きのある古道です。

釈迦堂口切通し

なお、2018年11月現在、釈迦堂口切通しはがけ崩れにより、アクセスできない状態になっています。詳しくは以下を御覧ください

釈迦堂口切通しは現在通行止め

2018年11月現在、釈迦堂口切通しはがけ崩れにより、通行止めになっています

釈迦堂口切通し 通行止め

浄明寺の住宅街の奥、浄明寺1丁目7番付近。この奥の釈迦堂口切通しに通じる山道の手前で、柵が敷かれ一般市民は通行できないない状態になっています。

切通しとは

源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。

→鎌倉の古道・鎌倉七口をもっと見る

釈迦堂口の歴史

釈迦堂ヶ谷は、1224年(元仁元年)第三代執権北条泰時(ほうじょうやすとき)が父・義時の菩提を弔うために、ここの谷に釈迦堂を建てたことに由来してます。その場所は現在も特定できておらず、幻の寺と言われています。ただし、釈迦堂の本尊であった清涼寺式釈迦如来立像が現在では東京都目黒行人坂の大円寺にまつられています。

釈迦堂切通のあたりは、北条時政(ほうじょうときむね)の名越山荘があったところといわれています。1203年(建仁3年)権力の比企能員(ひきよしかず)への集中を恐れた時政が比企能員を呼び出して謀殺したいわゆる「比企能員の変」の舞台となった山荘はことあたりだったと想像できます。

この釈迦堂口を行き来しながら、時政がこの謀略を思いついたとしたら、なにか深い歴史を感じませんか?

釈迦堂口切通しへのアクセス

大町6丁目~浄明寺1丁目(付近)
鎌倉駅東口より徒歩35分。または「鎌倉霊園・太刀洗」行など金沢街道方面バス 「杉本観音」下車徒歩10分

釈迦堂口切通しへの行き方

釈迦堂口切通し 大御堂橋

報国寺、浄妙寺方面のバス道(六浦道)。鎌倉駅方面から見て、大御堂橋交差点を右折、路地に向かいます。

釈迦堂口切通し 大御堂橋

大御堂橋。釈迦堂口切通への道標もあります。

釈迦堂口切通し 大御堂橋

大御堂橋から滑川を望む。

釈迦堂口切通し 田楽辻子のみち

バス道(六浦道)と平行に走るこの路地は、田楽辻子のみちと呼ばれています。

→田楽辻子のみちをもっと見る

釈迦堂口切通し 田楽辻子のみち

滑川と平行に走る田楽辻子のみち

釈迦堂口切通し 通行止め道標

道標はこのような記載。釈迦堂口切通へは約300メートル。

釈迦堂口切通し 道標

釈迦堂口切通への道標。この道標を右に曲がります。

釈迦堂口切通し 住宅街のみち

おそば屋さんと右手に山方面に向かいます。

釈迦堂口切通し 住宅街のみち

住宅街を右手の小川(釈迦堂川)に沿って、釈迦堂ヶ谷を山方面に向かいます。

釈迦堂口切通し 道標

住宅街が切れて、ここから山道に入ります。釈迦堂口切通へは約150メートル。

釈迦堂口切通し 通行止め道標

残念ながら現在は、ここから通行止めになっています。通行禁止です。

釈迦堂口切通し 石碑

釈迦堂口切通へ約150メートル地点の道標の脇に、釈迦堂口の説明が書かれた石碑があります。

〜週末、お出かけ。鎌倉トリップ。〜

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