源頼朝の墓(法華堂跡)
2020/11/22
初代鎌倉幕府将軍「源頼朝(みなもとのよりとも)」の墓。鎌倉創始の偉業者の法華堂です。
源頼朝の法華堂跡
1180年(治承4)、平家追討のために挙兵した源頼朝(みなもとのよりとも)は、同年鎌倉に入りました。1185年(元暦2年)平家を、1189年(文治5年)に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、鎌倉を拠点とする武家による全国的な政権の基礎を築きました。以降、江戸時代が終わるまで、約700年にわかり、武家による政権が続くことになります。
1199年(建久10年)に頼朝が53歳で没すると、法華堂は幕府創始者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰をあつめました。
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法華堂のみどころ
白旗大明神
源氏のシンボルである白旗がなびく白旗大明神。
源頼朝(みなもとのよりとも)の墓
法華堂の奥を登ったところに源頼朝(みなもとのよりとも)の墓があります。
現在の墓域は、1779年(安永8年)に薩摩藩主島津重豪(しまづしげひで)によって整備されたものです。
島津藩・長州藩のゆかりの墓がならぶ法華堂跡
この周辺は歴史人たちの墓や史跡が立ち並ぶエリアです。
源頼朝の墓(法華堂跡)へのアクセス
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