源実朝(みなみもと さねとも)と鎌倉
2020/11/22
源頼朝の子であり鎌倉幕府第3代将軍にして歌人でもある源実朝(みなみもと さねとも)。
頼朝の子として生まれながらも、北条氏との政争の中で非業の死を遂げます。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶しました。
源実朝(みなみもと さねとも)の家系
- 父:鎌倉幕府第3代将軍 源頼朝(みなみもと よりとも)
- 母:北条政子(ほうじょう まさこ)
- 兄:鎌倉幕府第3代将軍 源頼家(みなみもと よりいえ)
源実朝(みなみもと さねとも)と鎌倉の史跡
源実朝が参拝した甘縄神社
その歴史の長さから源氏と関係が深く、源頼義(みなもとのよしよし)がここで祈願をして源義家(みなもとのよしいえ)が生まれたと伝えられており、源義家や源頼朝(みなもとのよりとも)が社殿を修復し、北条政子や源実朝(みなもとのさねとも)も参拝したと伝えられています。
甘縄神社は背後に山を抱え、高台にあり社殿への石段が続いています。
源実朝が暗殺された鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏
1219年に公暁が3代将軍である源実朝(さねとも)を鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏の影から暗殺しされた。
いまは無い大銀杏の影から公暁が現れ実朝は最期を遂げました。
源実朝を暗殺した公暁が逃げ込んだ裏山。四辻
その後この鶴ヶ岡八幡宮の裏山を辿るこの道を逃走中に殺害されたといわれています。
ここが鶴ヶ岡八幡宮から逃げていきた公暁が捕まった場所と言われています。
源実朝と北条政子の眠る墓。寿福寺
鎌倉駅の西口側、寿福寺の裏手の墓地、最奥に源氏山をくり抜くようにやぐらがあり、ここに源実朝のお墓といわれるやぐらがあります。
ここに北条政子、そして源実朝のお墓がひっそり佇んでいます。