源頼家(みなもとのよりいえ)と鎌倉
2021/03/14
鎌倉幕府第2代将軍、源頼家(みなもとのよりいえ)。
鎌倉殿。鎌倉幕府の第2代将軍
鎌倉幕府の第2代将軍。鎌倉殿の13人でおなじみの「鎌倉殿」とは源頼家のこと。父・頼朝の急死により、幕府将軍を引き継ぐが後ろ盾の比企氏とともに失脚する。
源頼家(みなもとのよりいえ)の家系
- 父:鎌倉幕府初代将軍 源頼朝(みなみもと よりとも)
- 母:北条政子(ほうじょう まさこ)
- 叔父:源範頼(みなみもと のりより)
- 長男:一幡
- 次男:公暁(くぎょう)
- 弟:鎌倉幕府第3代将軍 源実朝(みなみもと さねとも)
源頼家(みなもとのよりいえ)と鎌倉の歴史
源頼家は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍。鎌倉殿の13人でおなじみの「鎌倉殿」とは源頼家のこと。鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の嫡男で母は北条政子。
頼朝の急死により18歳で、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿征夷大将軍となる。若気の至りのような振る舞いが御家人たちの反発を招き、北条氏を中心として十三人の合議制がしかれた。いわゆる「鎌倉殿の13人」。
合議制成立の3年後に頼家は病気になり、頼家の後ろ盾である比企能員 (ひき よしかず)と、弟の実朝を擁立する北条氏との対立し比企氏は滅亡した。頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉された後、暗殺された。 頼家追放により、結果北条義時が鎌倉幕府の実権を握る事になる。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、金子大地さんが源頼家(みなもとのよりいえ)を演じます。
源頼家(みなもとのよりいえ)と鎌倉の史跡
【段葛】源頼家の安産祈願大路
鶴岡八幡宮の参道である若宮大路の段葛(だんかずら)。
鶴岡八幡宮の参道である若宮大路の中央に、盛り土された参道があります。この参道が段葛(だんかずら)と呼ばれています。
若宮大路は、1182年(養和2年)、源頼朝の妻政子が長男であるの頼家の誕生の際に、安産祈願のために造られたと言われています。
春の桜のアーチ。段葛
- アクセス:JR鎌倉駅から徒歩2分
【寿福寺】源頼家が開基のお寺
鎌倉五山第三位。源氏のルーツの地に立つ寿福寺。
寿福寺は、源義朝の邸宅あとに栄西が建立したと伝えれられいます。開基は一般に北条政子(ほうじょうまさこ)、源頼家(みなもとのよりいえ)と言われています。
美しい石畳の参道。
- 所在地:鎌倉市扇ガ谷1-17-7
- アクセス:JR鎌倉駅西口から徒歩10分
【妙本寺】頼家の子・一幡之君袖塚
頼家の後ろ盾、比企一族。緑多い比企谷に囲まれ山深く静謐なお寺。
北条時政によって比企一族が滅ぼされた際に、源頼家の子でありわずか6才の一幡君もこの戦で命を失いました。一幡の袖を埋めたといわれる袖塚があります。
妙本寺。大町付近では最も知られた桜の名所
- 所在地:神奈川県鎌倉市大町1-15-1
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩15分
【四辻】頼家の子・公暁悲劇の道
遺児、公暁(くぎょう)の最期の地
頼家の遺児、公暁(くぎょう)。1219年に3代将軍である源実朝(さねとも)を鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏の影から暗殺し、その後この鶴ヶ岡八幡宮の裏山を辿るこの道を逃走中に殺害されたといわれています。