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大江廣元邸碑。十二所の史跡

      2020/11/23

鎌倉幕府の創設の功績者、大江廣元(おおえのひろもと)の屋敷跡です。

大江広元

十二所の明石橋の奥に佇む。大江廣元邸碑

大江広元は代々学問の家の出。広元は源頼朝(みなもとのよりとも)に招かれ、鎌倉に来てからは政治の中枢にあり、政治の面で頼朝を支えました。
幕府の創設の功績は広元の力によるものが大きいと言われています。
大江広元(おおえのひろもと)が登場する大河ドラマ。鎌倉殿の13人とは?

大江廣元邸址碑へのアクセス

大江広元の屋敷(大江広元邸)は、十二所の明石橋の交差点から現在の川沿いの側道あたりにあったようで、現在は住宅街の一角に大江広元屋敷跡の石碑があります。
朝夷奈切通しへの道中に見つけることができます。

→朝夷奈切通しをもっと見る

  • 神奈川県鎌倉市十二所921−3
  • 鎌倉駅から京急バス、十二所神社バス停より徒歩約15分

大江広元(おおえのひろもと)と鎌倉の歴史

大江広元(おおえのひろもと)の出自は諸説あり、詳細は不明です。当初は中原姓を称し、中原広元(なかはらのひろもと)と言いました。
広元の兄・中原親能は源頼朝(みなもとのよりとも)と親しく、早く頼朝に従っていたが、その縁で広元も鎌倉へ下り公文所の別当となります。その別当として朝廷との交渉にあたり、また守護・地頭を設置したのも広元の献策によるものであると言われています。鎌倉幕府のおける名実とも一歩抜きん出たナンバーツー。

頼朝死後は、後家の北条政子(ほうじょうまさこ)北条義時(ほうじょうよしとき)と協調して幕政を執行。承久の乱の際は鎌倉方に立って主戦論を唱えた北条政子に協調、朝廷との一戦には慎重な御家人たちを鼓舞して幕府軍を勝利に導いた。

大江広元(おおえのひろもと)"

大江広元像

大庭学僊筆。毛利博物館所蔵。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、栗原英雄さんが大江広元を演じます。

→【大河ドラマ】鎌倉殿の13人とは

大江広元(おおえのひろもと)の家系

  • 兄:中原親能(なかはらのちかよし)
  • 長男:大江親広(おおえのちかひろ・承久の乱の際は官軍についた)

大江広元(おおえのひろもと)と鎌倉の史跡

大江広元の墓

西御門ある北条義時墓(法華堂跡)から急な石段を登った先に、長州藩によって建てられた大江広元の墓が残っています。
北条義時墓

長州藩によって建てられた大江広元の墓

大江広元の墓はこちら

  • 所在地:鎌倉市西御門2
  • アクセス:JR鎌倉駅から徒歩約20分

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