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【名越切通し】法性寺口から名越切通しへのルート

      2021/05/09

防御機構や様々な史跡が残る名越切通し。中世の雰囲気を色濃く残す古道です。(国指定史跡)

中世の雰囲気を残す名越切通し

鎌倉大町と逗子・三浦をつなぐ。かつての東海道の主要路

ロマン溢れる鎌倉時代から残る古道。かつて北条氏にとっては三浦半島の三浦氏が脅威であったため、三浦半島に続くこの道には「大切岸」のような防御機構の名残がのこっています。難路から「難越え」、転じて「名越」になったといわれています。

現在の横須賀線の名越トンネル上に旧道が残っていますが、生活道は新しくできた小坪トンネルに代わったため、未だに中世鎌倉の雰囲気を残している趣きのある切通しです。

名越切通しをもっと見る

名越切通しの行き方・入り口・ルート

名越切通しへのアクセス

名越切通しへのアクセスマップ
※クリックして拡大。
名越切通へのアクセスは複数の入り口がありますが、鎌倉駅方面からは「大町口」、逗子駅方面からは「法性寺口」、あるいは小坪経由で「小坪階段口」が一般的です。

逗子方面・法性寺口からのアクセス

法性寺 お猿畠

久木踏切の先に日蓮を助けた白猿で有名な法性寺があります。法性寺の裏山から名越切通しのハイキングコースに繋がっています。(2010年8月8日撮影)

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法性寺 本堂

法性寺の本堂

法性寺の本堂を過ぎてさらに裏山へ進みます。

法性寺 本堂

法性寺の裏山への道のりは、整備はされていますがかなりの急坂です。

法性寺 山王大権現

お猿畠の由来。山王大権現

法性寺の裏山は、奥の院、日蓮の岩窟、日朗上人御廟所などの見どころがあります。山王大権現の祠がありますが、これは松葉ヶ谷法難の際に、日蓮を救ったという白猿は山王大権現の使いという伝説の発祥の地です。

法性寺 山頂からの眺め

山頂からの眺め

法性寺の裏山は、山頂まで登ると逗子の町と逗子海岸を一望することができます。

大切岸

【絶景】鎌倉時代のロマン感じる。大切岸

法性寺の裏山からは、大切岸が遠望できます。大切岸は北条氏が三浦半島の三浦氏の攻撃に備えるために築いた防御施設だといわれています。

大切岸(おおきりぎし)を詳しく見る

法性寺 名越切通し

名越切通し方面を見上げると洋館が見えます。名越切通し方面に進む場合は、この洋館方面に裏山を登っていくことになります。

ハイキングコースへ

法性寺からハイキングコースへ

法性寺の裏山の墓地の脇からハイキングコースへの山道があります。この入り口は非常にわかりにくいのでご注意を。特に夏場は草木が生い茂っていて特にわかりにくいです..

法性寺からハイキングコースへ

ここからはハイキングコース。なかなかの山道です。

法性寺からハイキングコースへ

しばらくハイキングコースを歩くと、三叉路に。「法性寺・バス停久木5丁目(法性寺口方面)」「名越切通・まんだら堂やぐら」「大切岸・ハイライド住宅地・衣張山(ハイランド口方面)」方面の三叉路。ここの三叉路で、杉本寺・報国寺方面に向かう場合は、衣張山ハイキングコースに接続する「大切岸・ハイライド住宅地・衣張山」方面へ。

衣張山ハイキングコースをもっと見る

法性寺からハイキングコースへ

名越切通しの史跡碑と三叉路

さらに「名越切通・まんだら堂やぐら」方面にしばらくハイキングコースを歩くと、名越切通しの史跡碑と案内版が併設された三叉路に。「法性寺・ハイライド住宅地・衣張山」「名越切通・まんだら堂やぐら(小坪階段口方面)」「鎌倉市大町・長勝寺安国論寺(大町口方面)」方面の三叉路。

法性寺からハイキングコースへ

三叉路の引きの絵。上りは「法性寺・ハイライド住宅地・衣張山(法性寺口)」方面。この史跡碑と亀が岡団地口までの間に、大小3箇所の切通遺構があります。まずは案内板通りに名越切通方面に向かいます。

名越切通しへ

まんだら堂やぐら

「亀が岡団地口」「小坪階段口」方面に向かう途中、まんだら堂やぐらへの入り口があります。まんだら堂やぐらは普段は非公開ですが、季節限定で一般にも公開しています。

名越切通しのまんだら堂やぐら群

【絶景】葬送遺構。まんだら堂やぐら群

季節限定で公開される、鎌倉最大級のやぐら群。葬送遺構。

まんだら堂やぐら群を詳しく見る

「亀が岡団地口」「小坪階段口」

「第一切通・亀が岡団地口(亀が岡団地口)」「小坪階段口・バス停緑ケ丘入り口(小坪階段口)」「鎌倉市大町口」方面の三叉路。ここから亀が岡団地口方面に少し向かった先に「第一切通」があります。

中世の雰囲気を残す名越切通し第一切通

【絶景】第一切通。名越切通の最狭部

外的の侵入を防ぐためにあえて狭く作ったと言われています。(2016年5月5日撮影)

名越切通しをもっと見る

名越切通しの行き方・入り口・ルート

切通しとは

源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。

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