巨福呂坂切通し
2019/05/19
巨福呂坂(こぶくろざか)。この切通しは、鎌倉と外界との主要な出入り口として、鎌倉七切通しの一つとして知られています。(国指定史跡)
鎌倉幕府3代執権の北条泰時が造った鎌倉中心部と北鎌倉をつなぐ、かつての主要路です。
鎌倉幕府最期となった1333年(元弘3)5月、新田義貞軍の堀口貞満と、北条軍の長崎高重の間でここで展開された戦いが巨福呂坂の戦いです。
生活道は新しくできた巨福呂坂トンネルに代わり、かつての山越えの古道である切通しは使われていません。※行き止まりとなります。
山越えの古道は住宅街になっていますが、かつての趣きもかすかに残っています。
鎌倉側(鶴ヶ岡八幡宮側)から山道を登ると行き止まり。
切通しとは
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。
巨福呂坂切通しへのアクセス
鎌倉市雪ノ下2-7-4(付近)
鎌倉駅から徒歩約15分
〜週末、お出かけ。鎌倉トリップ。〜