【鎌倉文学】鎌倉の文学者ゆかりの場所
2019/05/26
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文学者のゆかりのある鎌倉へ♪
1889年(明治22年)に横須賀線が鎌倉へ開通しました。東京からの便がよくなり、文学者がこの頃から鎌倉へ訪れるようになります。大正時代には多くの文学者が鎌倉に滞在したり、暮らしたりするようになります。
鎌倉は多くの文学者に愛され、作品に登場し、鎌倉は文学都市として成熟するようになります。
ここでは、文学者にゆかりのある様々な鎌倉の場所をご紹介します。
円覚寺と夏目漱石
夏目漱石の有名な作品「門」は、円覚寺の三門であり、座禅の体験を描いています。
建長寺宝珠院と葛西善蔵
葛西善蔵は建長寺塔頭の宝珠院に住んでいました。
東慶寺と高見順
東慶寺には、高見順の詩碑があります。「赤い芽 空をめざす小さな赤い手の群祈りと知らない祈りの姿は美しい」
東慶寺と佐佐木信綱
東慶寺には、佐佐木信綱の歌碑があります。「雲に問へば雲はもだせり風にとへばかぜながれ去るいかにせましや」
鶴岡八幡宮と源実朝
鶴岡八幡宮には、源実朝の歌碑があります。「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
鶴岡八幡宮と太宰治
太宰治は、鎌倉幕府三代将軍の源実朝を小説「右大臣実朝」に書きました。
瑞泉寺と山崎方代
瑞泉寺には、山崎方代の歌碑があります。「手のひらに 豆腐をのせていそいそと いつもの角を曲がりて帰る」
鎌倉宮と立原正秋
立原正秋は、鎌倉宮の鎌倉薪能を小説「薪能」に書きました。
鎌倉文学館と三島由紀夫
三島由紀夫は、鎌倉文学館を小説「春の雪」の別邸のモデルとしました。
川端康成と甘縄神明宮
川端康成は、甘縄神明宮を小説「山の音」の舞台として書きました。
鎌倉大仏と与謝野晶子
与鎌倉大仏には、謝野晶子の歌碑「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
鎌倉大仏と星野立子
鎌倉大仏には、星野立子の句碑があります。「大佛の冬日は山に移りけり」
長谷寺と久米正雄
長谷寺には、久米正雄のブロンズ像があります。
妙本寺と小林秀雄
随筆「中原中也との思ひ出」に妙本寺の海棠を書きました。
光明寺と武者小路実篤
武者小路実篤が、子供の頃、光明寺で毎年夏を過ごしました。
鎌倉駅と岡本かの子
岡本かの子は、鎌倉駅近くの宿で芥川龍之介と同宿になり、小説「鶴は病みき」に書きました。
元八幡と芥川龍之介
芥川龍之介は、元八幡の近くの借家で新婚生活を送った。
御成小学校と高浜虚子
高浜虚子は、御成小学校の校門の門札を書きました。
虚子庵跡と高浜虚子
由比ヶ浜にある虚子庵跡の句碑「波音の由比ヶ濱より初電車」
吉屋信子記念館と吉屋信子
長谷にある吉屋信子が住んでいた家が、吉田信子記念館になっています。
雪ノ下と大佛次郎
雪ノ下には大佛次郎の茶邸が雪ノ下に残っています。
〜週末、紅葉、お出かけ。鎌倉トリップ。〜