朝夷奈切通し(あさいなきりどおし)。中世の雰囲気を残す鎌倉の古道
2020/11/22
この切通しは、鎌倉と外界との主要な出入り口として、鎌倉七切通しの一つとして知られています。鎌倉の貴重な遺構であり国指定史跡です。
鎌倉中心部と六浦(横浜市金沢区)をつなぐ、かつての主要路(六浦道)です。
鎌倉の海は遠浅で、波の高い時に船をとめる事ができなかったので、鎌倉の東側にある六浦が鎌倉の海の玄関として栄えました。
かつての古道の趣きを残していて、中世の雰囲気のあるハイキングコースとしてもオススメです。
朝夷奈切通しとは(朝夷奈切通しの歴史)
鎌倉鎌倉が開かれる前から、鎌倉から六浦(横浜市金沢区)に抜ける道があったといわれています。これはこの朝夷奈切通しです。この切通しは鎌倉七口の切通しの中でも一番の長さを誇り、切り通しの雰囲気がよく残る古道です。かつての姿をそのままとどめて、まさに800年の歴史を超えた世界の入り口のようです。両側は岩壁がむき出しになり、今にも武士が出てきそうな雰囲気があります。
源頼朝の時代、朝夷奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説があります。
鎌倉時代の六浦は鎌倉の外港として都市鎌倉を支える重要な拠点でした。そして六浦を鎌倉幕府を結ぶこの道は、鎌倉七口の中でも物資を運ぶ最重要道路でした。塩などので生活物資を運ぶほか、軍事上重要な道であったため、切り通しの上には侵入者を討つための平場が存在します。
「吾妻鏡」には1241年(仁治2年)に、鎌倉幕府執権であった北条泰時の指揮で、六浦道の工事が行われたという記事があり、これが造られた時期だとも考えられています。
三郎の滝、大切通しなどみどころも多く景観もすばらしい切り通しです。
朝夷奈切通しへのアクセスと見どころ
金沢街道から、太刀洗川沿いの小道へ
車通りの多い金沢街道の「十二所神社」バス停から、細い脇道に入ります。この道が朝比奈峠を越えて横浜の六浦に通じる「金沢街道」の旧道です。おそばで有名な峰本朝比奈店の交差点です。写真は旧道からバス停方面への景観。
要所に案内版が整備されているので迷いことはないと思います。
アパート(ハイツ十二所)を向かって左です。
十二所の住宅街を抜けて進みます。
住宅街を抜け、太刀洗川に沿って進みます。
舗装がなくなり、だんだんと雰囲気が出てきます。
左手に太刀洗川、右手に切通し特有の切り立った壁。中世古道の雰囲気です。
切り通しの上には侵入者を討つための平場が見えます。軍事遺構です。
梶原太刀洗水
1183年(寿永2年)、鎌倉時代に差し掛かるまさに時代の変革期、梶原景時が上総介広常の屋敷で広常を暗殺しました。その後、梶原景時がこの湧き水で太刀の血を洗い流したという伝説が残されています。鎌倉の創世記を代表する逸話の舞台がここにあります。
梶原景時(かじわらかげとき)が登場する大河ドラマ。鎌倉殿の13人とは?
十二所果樹園
案内板の脇に道標があります。まっすぐに行くと朝夷奈切通。右手に折れると十二所果樹園です。
三郎の滝
「三郎の滝」。伝説では、朝夷奈切通は源頼朝の時代、朝夷奈三郎義秀が一夜で切り開いたというと言われています。この朝比奈三郎にちなんで、「三郎の滝」と名付けられた滝です。
切り通しらしい雰囲気のある道を進みます。
朝夷奈切通しの磨崖仏
最も切り通しらしい場所、岩盤に仏が掘られていて中世の雰囲気があります。これは磨崖仏(まがいぶつ)と言われる仏様です。
更に切り通しは続きます。横浜横須賀道路の高架を抜け、朝比奈バス停へ抜けることができます。
鎌倉の最奥の社。熊野神社へ
熊野神社への分岐点。ここから更に山奥に入ると、鎌倉で最もアクセス困難な秘境の神社、熊野神社へ向かうことができます。
杉木立の中を進むと、熊野神社の鳥居と石段が見えてきます。
切通しとは
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。
朝夷奈切通しへのアクセス
神奈川県鎌倉市十二所~横浜市金沢区朝比奈付近
鎌倉駅から京急バス、十二所神社バス停より徒歩約15分
〜週末、お出かけ。鎌倉トリップ。〜