坂東武士の鑑。畠山重忠邸址
2021/03/14
鎌倉幕府の有力御家人、畠山重忠(はたけやましげただ)。
源平合戦では伝説的な働きで「坂東武士の鑑」と呼ばれました。
畠山重忠邸跡の石碑が、鶴ヶ岡八幡宮の流鏑馬道の東側入り口に碑があります。
畠山重忠(はたけやましげただ)と鎌倉の歴史
畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族で、武蔵国男衾郡畠山郷(現在の埼玉県深谷市畠山)を領していた鎌倉幕府の有力御家人。
源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵に際しては、平家方として頼朝討伐に向かった。頼朝は石橋山の戦い大敗。相模国まで来ていた平家軍・畠山氏は鎌倉の由比ヶ浜で源氏勢・三浦氏と遭遇し合戦となる。その後、重忠は三浦氏の本拠の衣笠城を攻略。重忠は一人城に残った老齢の当主で三浦義明を討ち取った(衣笠城合戦)。
その後は一転、鎌倉入りする源頼朝に合流し、鎌倉御家人として活躍する。
1184年(寿永3年)いわゆる源平合戦で活躍。神戸の攻防戦では、鵯越の逆落としで重忠は馬を損ねてはならないと馬を背負って坂を駆けおりるという伝説を持つ。
その後は、鎌倉幕府の初期に「坂東武士の鑑」と呼ばれ有力御家人として活躍するが、源頼朝(みなもとのよりとも)の没後の1205年(元久2年)、北条時政(ほうじょうときまさ)の謀略によって謀反の疑いをかけられ討死した(畠山重忠の乱)。
鵯越の畠山重忠像
かつての所領、埼玉県深谷市畠山には畠山重忠公史跡公園があり、畠山重忠像が設置されています。源平合戦の鵯越の際に、馬を背負って駆け下りた伝説にちなんでいます。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、中川大志さんが畠山重忠を演じます。
畠山重忠(はたけやましげただ)の家系
- 父:畠山重能(はたけやましげよし)
- 子:畠山重保(はたけやましげやす)
畠山重忠邸址へのアクセス
- 鎌倉市雪ノ下3-2-19付近(鶴ヶ岡八幡宮の流鏑馬道の東側入り口付近)
- JR鎌倉駅東口より徒歩約15分
畠山重忠(はたけやましげただ)と鎌倉の史跡
【佐助稲荷神社】畠山重忠が再建した社
鎌倉の最強出世開運スポット。佐助稲荷神社
社伝によると建久年間、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が畠山重忠に命じて再建させたと伝えられています。
フォトジェニックな出世稲荷。佐助の隠れ里
- 所在地:神奈川県鎌倉市佐助2丁目22−2
- アクセス:鎌倉駅西口より徒歩約25分
【鶴岡八幡宮】畠山重忠邸址すぐ
鎌倉の観光名所の代名詞。鶴岡八幡宮
源頼朝(みなもとのよりとも)が崇敬した源氏の守護神。鎌倉散策に訪れる観光客がまず足を運ぶスポットです。畠山重忠邸は、鶴岡八幡宮の流鏑馬道東端のすぐ先にあります。
雪化粧する美しい鶴岡八幡宮の舞殿。
- 所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
- アクセス:鎌倉駅東口より徒歩10分
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