北条義時のお墓。法華堂跡
鎌倉殿の13人のひとり、北条義時 (ほうじょう よしとき)のお墓は西御門に遺構が残っています。
頼朝と並び義時が眠る墓所。法華堂跡
鎌倉殿の13人のひとり、北条義時 (ほうじょう よしとき)。北条時政の4男。のちの鎌倉幕府第2代執権。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公。
お墓は西御門にあったとされる法華堂。急な石段を登った広場にその遺構が残っています。
北条義時(ほうじょうよしとき)が登場する大河ドラマ。鎌倉殿の13人とは?
北条義時墓(法華堂跡)の見どころ
北条義時墓(法華堂跡)の入口
西御門に源頼朝の墓より、東に100メートルほど。法華堂跡への石段が現れます。(2020年3月1日撮影)
北条義時墓(法華堂跡)の遺構
源頼朝の死から25年後、1224年に北条義時(ほうじょう よしとき)は死去しました。吾妻鏡では、頼朝の法華堂より東の山に新たに当時の権力者である義時の新法華堂が建てられて葬られたと記録が残っていましたが長くその場所は不明でした。2005年に鎌倉市教育委員会の発掘調査によりその法華堂跡の遺構が発見されました。
頼朝の墓の横に義時の墓を造ったのは北条政子と想像できますが、このことで義時の人物の重要性がよく分かります。
現在は広々とした緑地になっており、整備が待たれます。(2020年3月1日撮影)
三浦泰村一族の墓やぐら
法華堂跡の奥の山肌には三浦泰村一族の墓と伝わるやぐらがあります。(2020年3月1日撮影)
毛利氏・大江氏・島津氏の墓
北条義時法華堂跡の広場から更に山上にのぼる石段の先には、島津忠久、大江広元、毛利季光の墓があります。
北条義時墓(法華堂跡)から衣張山を望む
高台にある北条義時法華堂跡の広場から衣張山方面の眺めることができます。(2020年3月1日撮影)
北条義時墓(法華堂跡)へのアクセス
鶴岡八幡宮の奥、西御門に源頼朝の墓が残されています。そこから東に100メートルほどに北条義時墓とされる法華堂跡が残されています。
- 鎌倉市西御門2
- JR鎌倉駅から徒歩約20分