極楽寺坂切通し。鎌倉の古道
2021/06/20
鎌倉七切通しの一つ。極楽寺と由比ヶ浜方面を結びます。
また、このあたりは鎌倉幕府滅亡の際の、新田義貞(にったよしさだ)鎌倉攻めの激戦地でもありました。
絶景。由比ヶ浜の眺望
極楽寺坂の頂上とも言えるかつてあじさいの名所であった成就院への参道より由比ヶ浜を臨む。山の上に位置するため、あじさい越しに由比ケ浜の雑踏が嘘のようにが静かに見える絶景スポットで、鎌倉の中でも比類なく素晴らしい景観です。(2021年6月13日撮影)
切通しとは
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に、北東西は山に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われています。
そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が「切通し(きりとおし)」です。
中でも「亀ヶ谷坂切通し」「化粧坂切通し」「巨福呂坂切通し」「大仏切通切通し」「極楽寺切通し」「朝夷奈切通」「名越切通し」は鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ特に重要な要路として存在しました。
明治以降は車道として次々と道路拡張が行われてしまいましたが、一部の切通しは当時の古道の姿を残しており、歴史の街、鎌倉らしい景色を散策することができます。
また、鎌倉七口には数えらませんが、「釈迦堂口切通し」は中世の面影を残す、訪れる価値のある切通しのひとつです。
極楽寺坂切通しとは
極楽寺の忍性が開いたとされる切り通し。鎌倉の西南端に位置し、鎌倉と外部へ続く主要な道路でした。
1333年(元弘3年)新田義貞の鎌倉攻めの際に、極楽寺坂は激戦地となりました。現在は掘り下げられて車道となっている切り通しですが、当時は険しい切通しであったようで幕府軍な防御の前に、義貞は軍をまとめ直しました、そして伝説となっている稲村ケ崎越えの奇襲作戦を敢行。鎌倉を攻め落としましたと言われています。
極楽寺坂切通し
極楽寺坂切通し。かつての面影はなく、現在は長谷方面から、極楽寺駅方面に抜ける自動車道。渋滞が多い134号の裏道にもなっています。
長谷から極楽寺方面に極楽寺坂を進むと、「成就院」に進む側道(階段)があります。
成就院への入り口。東結界。
極楽寺坂途中にある極楽寺坂の石碑。
極楽寺を抜けると極楽寺駅方面につながります。(2021年6月13日撮影)
極楽寺坂切通しの周辺の見どころ
成就院。あじさいと恋愛成就の寺
虚空蔵堂は成就院に向かう坂のふもとに位置しています。成就院は山の上に位置するため、あじさい越しに由比ケ浜の雑踏が嘘のようにが静かに見える絶景スポット。
星の井。鎌倉十井のひとつ
極楽寺切通の登り口に位置する星の井。手前から、星の井の石碑、星の井、虚空蔵堂です。
虚空蔵堂
極楽寺切通の登り口に位置する虚空蔵堂。成就院の境外仏です。
極楽寺
風情ある茅葺の山門が特徴の極楽寺
江ノ島電鉄極楽寺駅すぐ。駅名にもなっているそのお寺は藁葺き屋根の山門が印象的なお寺です。(2021年6月13日撮影)
極楽寺坂切通しへのアクセス
- 所在地: 鎌倉市極楽寺1-1-5付近
- 江ノ島電鉄 極楽寺駅より徒歩3分、長谷駅より徒歩5分